今日は1980年代にいた、ちょっと怪しいおじさんの話から始めましょう。
通学路にいた、リアル寅さん
ボクが小学生のころ、たまに下校途中の路上でひとテーブル分くらいのお店を開いて座っているおじさんがいました。
下校中の路上と言っても、アクセサリーや似顔絵描きがお店を出している繁華街の路上のような場所ではなく、学校そばの閑静な住宅街の中にある空き地の前の路上です。
近所で見たこともない前歯の欠けたそのおじさんは、これまた見たことのないヘンテコなおもちゃを下校途中の子どもたちに実演しながら何気なく見せてきました。
大人になると、どれもこれも大したものではないことはわかるのですが、当時はどれもこれも面白くて見せられるたびにみんなで興奮して奇声をあげたものです。
例えば、当時覗かされた三角柱の物体、今思えばただのプリズムなのですが、それを理科室などではなく屋外で「覗きながら歩いてみな」なんて言われやってみると、普段の景色が一変して虹色だし色の違う同じ景色がいっぱい見えるし、友達の顔も変だしで、興奮しないわけにはいかないわけですよ。
そう思うと、おじさんが腰にエプロンのようにぶら下げていた汚ったない袋をたまに握ると、ブッ!って音がなるわけです。
でも袋を覗かせてもらうと何も入っていない。
種を明かせば何のことはない、口の中に仕込む笛を鳴らしていたんですよ。
歯が欠けているように見えたのは、実は笛だったんですね。
でも、小学生にとって笛といえば、たて笛か体育の時のホイッスルくらいしか知りませんでしたから、まさか口の中に仕込むなんてひみつ道具的でカッコよすぎるわけです。
あとは何が売っていたのかな?
もう忘れてしまいましたが、それらの商品を最近の実演販売のプロのような口上ではなく、絶妙なやる気のなさと子供は嫌いだ的なあしらい方をしながら実演し、最後にこう決めるわけですよ。
「はい終わり~。おじさんまだいるから帰ってお母さんにお小遣いもらってもう一度来な~。」
ボクも友達も慌てて家に帰るわけですが、「そんな怪しい人に会いに行っちゃダメ!」と言われ、当然誰一人としてお小遣いをもらえず、次はいつ来るかなあと寂しく思うのです。
冒頭で、たまに、と言いましたが、そのおじさんを見かけたのは6年間で2回だけかな。
あ、あと1回だけ普通のスーツを着たサラリーマン風のおじさんが、変なおじさんと全く同じものをスーツケースに並べて路上で売ってたことはあったか。
今思うと、サラリーマン風のおじさんの方がよっぽど怪しくてヤバイですよね。
そうやって路上でよくわからないものを売っていた人は、リアルふうてんの寅さんだったのかなあ。
優しさより、いかがわしさが先立った時代
そんな時代を過ごしたボクと同じ団塊ジュニア世代は、当時のオカルトブームも相まって、何かいかがわしさを漂わせているものに妙に惹かれてしまう人が多い気がしませんか?
ファミコンのゲームだって、
「こんなの誰がクリアできるんだよ!?」
っていうクソゲーが平気で販売されていましたし、
店内のテーブルにタランチュラ、壁の檻には虎がいるレストランがあったし、
深夜には平気で日活ロマンポルノが流れていたし、
今考えると結構なカオスでしたよね。
それに比べたら現代の子たちは、
ゲームは少し頑張ればエンディングにたどり着けるよう絶妙に作られているし、
動物園は色々な楽しみ方ができる設計になっているし、
テレビはリテラシーがかなりしっかりとしているしで、
至れり尽くせりな感じがします。
とはいえ、時代背景を比べたところで何の意味もないのですが、
団塊ジュニア世代というのは多感な子どもの頃を、バブルでクレイジーになっていた人たちが作ったカオスなモノやコトに囲まれて過ごしてきた分、現在も物事を斜めに見たり、うがった見方が当たり前にできている人がたくさんいるんですよね。
あの時代に刷り込まれたものは捨てたものじゃない
本人は気づいていないと思うのですが、
他の世代とは異なる視座で見ている40代が集まれば、面白い商品、ものづくりができると思いませんか?
特に、インバウンド戦略を見越した観光産業や情報メディアで、面白いコトが起こると思うんですけどね。
現在、流行っているものって、
80年代に試されたこと、
オタクと呼ばれた人たちが陰口を叩かれても楽しみ蓄積し続けたもの、
をトレースしたものばかりですよ。
だったら、アラフォーは『子供の頃から刷り込まれたカオスな記憶』を上手に料理することで、もうひと花咲かせられますよ!
そうは思いませんか?