はぐれ鳥が聞かせたいナイショの話

アラフォーカウンセラーが考えた未来。人生に悩んだ時に「はっ!」っとポジティブになるかもしれないヒントが書いてあるかも。キャリアは一つでなくてもいいんだよ。

成功法則の落とし穴と凡人が幸せになるためのヒント

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2019.1.15更新しました。 

 

 

成功、したいねえ・・・

 

『成功したければ成功している人と付き合おう』

『自己評価の高い人と付き合おう』

『自己評価の低い人は避けよう』

 

みたいな論調、自己啓発系・成功法則系でよく見ませんか?

 

なんかね~・・・

言いたいことはわかるんですよ。

 

でもねえ・・・

この手の自己啓発系の言葉って、飲み込もうとしても喉に刺さった小骨のように引っかかって飲み込めないんですよね。

 

もちろん、それには理由があるんですよ。

 

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インスタント成功法則の落とし穴

 

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「その通り!」

 

って実践してしまっている人の大半が、

話の真意を誤解していると思うんですよねえ。

 

まず、自己評価が高いことと収入が高いことは、イコールではありません。

 

たとえば、環境に優しい野菜作りをしている人は自己評価が高い人が多いと思います。

でも、環境に優しい野菜を作っても、必ずしも収入が高くなるわけではないですよね。

 

どちらかというと、アレルギーを持っている子供や家族のためだったり、未来への目的意識や使命のような意識が高いのだと思います。

 

人にも地球にも優しい野菜づくりをしている人は、

「わかる人だけ食べてくれ!」

って言っている人がいないとは言いませんが、ほとんどの人は売る人を選別するようなことはしていないですよね。

 

ただ、自分が作ったその野菜の美味しさから、地球に優しい農法をみんなに知ってもらいたいだけではないでしょうか。

 

愛知県の西尾氏というところで、無農薬で化学肥料も使わないでお茶を栽培されている龍香園さんは、身内にアレルギー体質の人がいたのをきっかけに、数年間かけて土壌を育て直したそうです。

 

ぼくも龍香園さんの甜茶パウダーが好きで、花粉のシーズンには水に溶かして飲んでいるのですが、栽培されている人の優しい気持ち、目的に共感できるから続けて買うんですよね。

 

 

総中流社会の期間は?

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ところで、一億総中流社会と呼ばれ、日本国民の所得格差が小さかった時期ってどれくらいだか知っていますか?

 

詳細な時期は、統計資料のどこを切り取るかによって数年前後しますが、だいたい1970年から2000年までの約30年間です。

 

このころ、世代的には団塊ジュニアが産まれた時期ですが、池田内閣の所得倍増計画によって豊かになったサラリーマン家庭の子どものほとんどが受験ブームで私立中学や有名大学を目指す、もしくは強制的に目指さされるわけです。

 

現在の中年層のひきこもりも、この時代に植えつけられたトラウマが一因ではないかと思っているのですが、当時まだ『ほめて育てる』教育より根性論とダメ出し中心の脅し教育方法が圧倒的に強かった時代に、「受験に失敗したらダメ人間」「大手企業に入社できないとみじめな人生」と刷り込まれ続ける10代を生きてきた人が、一度の失敗で絶望、自信をなくすのは然もありなん、です。

 

一方の親は、お隣さんが犬を飼うと聞けば犬を飼い、ご主人の役職を気にし、夏休みの旅行先まで気にしていたり、子供の将来のためと言いながら、受験の学校のランクによってはご近所に恥ずかしくて言えないとヒステリーを起こす。

 

なんていう感じで、総中流社会と呼ばれた30年間の時が流れていく中で、日本中の人が本来の目的とはズレた目標、目先の優越感に一喜一憂していくようになったんですよね。

 

そんな30年間は、見方を変えれば、格差の非常に小さな社会で差別の細分化が進んでいった時代ではないでしょうか?

 

日本の歴史の中で、たった数十年前の短い間だけに存在した中流社会が、結果として現在の日本に、はたから見ればどんぐりの背比べのようなわずかの差をめちゃくちゃ拡大して相手を見下し優越感を得ようとする差別意識を生んでいったわけです。

 

 

意識が高いとは 

 

意識が高いという基準も、何をもって意識が高いか判断が難しいですねえ。

意識が高い人というのは、一体どんな人なのでしょうか?

 

大辞林https://www.weblio.jp/cat/dictionary/ssdjjには、『意識が高い』とは「ある事柄に対して強く意識している。ある理念をよく理解している。」と書いてあります。

 

現在の、バブル時代のトレンドウォッチャーと呼ばれていた人に近い、ちょっとイタく見られがちな人を指す意味合いとは180度異なりますね。

 

 

バブリーハート

 

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バブル真っ盛りの頃なら、

アッシーメッシーワンレンボディコンアカプリ、ジュリアナ~ズトーキョー!

ってな感じで物欲万歳!

言うなれば、『バブリーボディー』な時代でした。

 

対して2000年以降はどちらかというと、

インスタいいねキラキラスタバ、ムジルシ~リョーヒーン!

・・・ちょっと無理があるか。

まあ、自分磨きの背後からチラチラと顔を覗かせている承認欲求ちゃん。

言うなれば、『バブリーハート』な時代ですね。

 

そういえば、Facebookでパーティーの写真とかをやたらと上げている人も、意識高い系あつかいされますね。

 

でも、常に習い事やセミナーに通ったり、ファッションや人脈に必要以上に気を使う姿は、むしろコンプレックスが強すぎて自己評価が低く見えることもあります。

 

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あと、人脈という言葉には、なんだか人をトランプのカードのような物あつかいをしているようで、ものすごく打算的な響きがありますよね。

 

なんだか、人脈という言葉を使いたがる人って、つきあい方が上から目線に感じてひいてしまいます。

 

そういう発想の人ってなんだか、他人に対して常にマウントしていないと不安で仕方がないように見えて、信用されないんですよね。

 

 

とはいえ、人は変われる

 

個人的には、『意識が高い』という言葉がどういう意味で使われているかを読み解くには、

 

意識=承認欲求

 

という単純な定義でじゅうぶんかと思うのですが、たとえ現在は承認欲求のかたまりで行動しているとしても、ちょっとしたきっかけで本来の『意識が高い』人に変わっていくはずなんですよ。

 

きっかけの一つを例にあげるなら、

 

恥をかいたときに裸の自分を受け入れられるかどうか?

 

じゃないかなあ。

 

 

かっこいい方の意識高い人

 

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ブッダとキリストは、ぼくは伝統宗教の始祖というより哲学の巨人というイメージなのですが、どちらも究極の意識高い系の人だったんでしょうね。

 

どこに意識が高かったかというと、当時の社会にはびこっていた格差と命の価値、そして平和だったのだと思うのですが、まあなんやかんやで現代の科学がようやく追いつきつつあるくらいの究極の気づきを得たあと、それを階級や性別にかかわらずすべての人にその気づきを伝えることが平和な世の中になると信じて、行動を起こしたんですよ。

 

ね、究極の意識が高い人でしょ?

 

ただ、ブッダとキリストがすごいのは、悩んだ先に大きな気づきを得て究極の意識高い人になってからはむしろ、どんな人でも悟れるように、世の中のまやかしから解放されるように、これまで以上に地に足つけて、目線を下げて活動したんですよ。

 

その結果、既得権益を持った人たちに殺されてしまったりするのですが、そういうところからも打算なんていう言葉とは無縁の活動をしていたんだろうなあと想像できますよね。

 

う~ん、ブッダもキリストもある意味、精神がパンクですね!

 

 

集団パワーのベストな作り方 

 

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社会でも職業でも、効率の良さ優先で、

細かいカテゴリー分け、専業化が進んだことで人がどんどん分断された結果、

 

一般人の最大の強みである集団パワー

 

が使えなくなっているんですよ。

 

集団パワーって本来、集まった人たちの能力が均一、もしくは同一なときにはそれほど怖くないんです。

 

みんなの能力が同一ということは、みんな計算のスピードが早いとか、みんな100kgまで持ち上げられる筋力がある、なんていう感じで特定の能力だけが突出することはあっても、他の能力はイマイチだったりするんです。

 

たとえば、全国高等学校クイズ選手権に出場するチームのメンバー全員が漢字に強くても、計算に強い人が一人もいなければ優勝を狙うのは無理ですよね。

 

やっぱり、クイズ選手権で優勝できるチームを作るには、漢字に強い人、数学に強い人、雑学に強い人、なんていう感じでいろんな人を集めた方がいいですよね。

 

みんなデコボコで自由にやってるんだけど、いざ集まればいい仕事できるよ!

 

みたいなのが、とくに特権のない一般人が強くなれる集団パワーの使い方です。

 

となると、ですよ? 

 

 

自己評価の高い人と付き合う、ということの真意

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ぼくが思うに、

 

自己評価の高い人たちで閉じた集団を作ることではなく、

自己評価がみんな高くなっていく開いた集団を作ることが大切ではないかな?

 

 

ちなみに、最近の若い人は自己評価が高くなる集団を作るのが本当に上手ですよね。

 

アラフォー以上の人たちはどうでしょうか?

 ぼくは自分自身もことあるごとに気をつけているのですが、やっぱりそこそこの年数を働いて、それなりの経験をしてきたぶん、新しいグループでとくに若い人の意見を黙って聞くことが難しいんですよね。

 

40歳以上の人も、意見を聞くことについては、コミュニケーションの訓練である程度はできるようになるんですよ。

 

でも、新しいことを若い人から習おうっていうのは、なかなか難しいんですよね。

 

40歳以上の人が若い人から習うのが難しい理由は2つあって、

・1つめは、若い人の最新テクノロジーに対しての親和度が異次元レベル。

・2つめは、精神的な体力が落ちていて、理解できるまで集中力が持たない。

この2つの理由で挫折することが多いんですよ。

 

会社でもたまに見ませんか?

若手の社員が上司にアプリの使い方を一生懸命教えていたのに、

「もう、お前に任せた!」

と諦めてしまう上司の姿を。

 

そういう姿を見ると、やっぱりアラサー以下の人はアラフォー以上と付き合うのは時間の無駄だと感じてしまうと思うのですが、それはもったいないのでもうちょっと我慢してほしいんですよね。

 

人間はみんなそれぞれに可能性宇宙を持っているので、付き合っている間に世代間のギャップなんか気にするのがバカらしく感じるくらいのビッグバンが起きるかもしれなんですよ。

 

アラフォー以上の人も一緒。

お互いに、気長に楽天的にコミュニケーションを取りながら長所を出しあっていく。

 

それは、一般人が死なないために、富の再分配を期待するよりもよっぽど有効な、情報の再分配、スキルの再分配になるのではないでしょうかねえ。

 

情報、スキルの再分配ができる集団なら、みんな自己評価を自然と高めていける。

 

これが、ぼくの考える『凡人でも幸せになれる方法』なのですが、あなたはどう思いますか?

 

 

 

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