運命を淡々と受け止める
なんていうと重い話に聞こえるかもしれないですが、今日はこんなテーマで一緒に考えてみましょう。
一見すると悪いと感じる運命も冷静な目で観察すると、あなたの本心が見つかって、むしろあなたの叶えたい人生が拓けていくかもしれないんですよ。
運命を淡々と受け止めると、どうして人生が開けるのか?
その理由をお話ししますね。
ちなみに、運命がなんだか重苦しいと思う場合は、
運命を「いまの自分に大切なこと」と読みかえてもいいですよ。
- あなたにも「これは運命だ!」と感じた出来事がありますよね?
- 運命の正体[本来、人間には生きる目的なんてない]
- 想定外に出会ったときに忘れないで欲しいこと
- 寝耳に水だった出来事を冷静に観察した結果
- 自分を冷静に見られる『魔法の質問』
- まとめ
あなたにも「これは運命だ!」と感じた出来事がありますよね?
運命、なんて言葉を使うと壮大な話になりそうですが、人間誰しも「これは運命的だ!」と思うような出来事にあうことは1度や2度あると思います。
ショッピングモールのペットコーナーを歩いて通り過ぎようとしただけなのに、ガラスの向こうの豆柴と目が合った瞬間、「こ、この出会いは運命だ!」と連れて帰ることを即決してしまう人がいます。
京都の東寺で仏像と対峙した瞬間、空海との運命を感じて四国へお遍路に旅立つ人もいるでしょう。
プロ野球のピッチャーが、大事な試合で打たれた1球に運命を感じてユニフォームを脱ぐ決断をした。
という話を聞いたことがありますよね。
「私よりアイスクリームの美味しさを理解している人はいない!」
「たくさんの人にアイスクリームの美味しさを伝えることは自分の運命だ!」
と毎日アイスを食べてブログを書いている人だっていていいですよね。
他人からは深刻に見えようが軽く見えようが、運命はその人のもので、その人にとっての人生の分岐点なんですから他人が批評するものではありません。
とはいえ、多くの社会人にとって仕事上で運命と感じるものが突然目の前に現れた時、
目の前のことにどのような対応ができるか?
によって、その先の未来は大きく変わるんです。
運命の正体[本来、人間には生きる目的なんてない]
人間なんて、本当は生きる目的や目標なんてなくてもいいんですよ。
目的や目標なんて、生まれた時には誰一人持っていません。
目的を持って生まれて来たのは、生まれた瞬間に立ち上がって天と地を指差したブッダくらいのものです 笑。
でも、人間は高度に発達した脳を持っていますよね。
その脳は、石器時代のような身の回りに人間を捕食するような強い生き物がたくさんいた時代には、生き残ることのみに全力を尽くしていました。
それが、時代が進む中で文明が発達し、強い生き物の脅威から切り離され、さらには強い生き物を狩る側に立つことで生命の危機にさらされにくくなってからは、脳が暇をもてあますようになったんですね。
それからです。
生きる目的を考えるようになったのは。
夜、星空を見上げながらおかしなことを言う奴があわられたわけです。
「なんで俺たちは生きているんだろう?」
みたいな。
最初こそ、
「変なことを言う奴がいるなー。」
くらいの反応だったのに、周りにいた人たちの頭の中で暇を持て余していた脳には、とんでもないアハ体験が発生です!
「やったぜ!やっこさん、最高の暇つぶし方法を発明しなすった!」
と言う感じで、たくさんの人が運命の原型みたいなことを考え始め、やがて哲学や科学が生まれていったんだと思うんですよね。
そして、その哲学や科学が経済などを発明していき、世の中がどんどん複雑になると同時に、
生きるためにはお金を稼がなきゃいけない。
お金を稼ぐには、ぼくはどんな価値を提供すればいいんだろう?
そもそも僕の価値って何だろう?
ぼくは何のために生きているんだろう?
というように、自分が生きている意味を考えるようになるんです。
すると、運命の正体が見えてきませんか?
本来は、自分が生きている理由が欲しい人が、たまたま目の前で起きたことに自分に都合のいい理由を結びつけて受け入れようとすることなんですよね。
想定外に出会ったときに忘れないで欲しいこと
その感じた運命が、『現在の仕事が好転すると確信できる人との出会い』のようなものであればハッピーです。
しかし、現在の仕事とは関係のない分野の仕事に運命を感じた時はどうですか?
心の中で、大きな葛藤が起きると思いませんか?
または、現在の仕事を諦めなければならないような出来事だった場合はどうでしょうか?
それが、上層部との軋轢であった場合は?
肩たたきに近いことをされた場合は?
普通なら反射的に敵意が生まれ、長期にわたってもめ続けることもありえますよね。
「仕事を認めない役員共が憎くて仕方がない!」
「私を辞めさせようとしているあいつらを許せない!」
普通、そうなりますよね。
そりゃあそうですよ。
自分を否定されるようなものですから。
まるで、これまでの社会人生活と人格すべてを否定されたような気がしますよね。
だから、自分の気がすむことはないのはわかっていても、とことん抵抗を続けることもあるでしょうね。
ただ、怒りなどで反射的に決断した運命の奥には、
あなたにとって本当に大切なものが隠れていなかったか?
ということを見直すのも忘れないで欲しいんですよ。
寝耳に水だった出来事を冷静に観察した結果
ぼくのことを例にお話しすると、
ぼくには数年前、実現させたい目標がありました。
その目標を実現させるために、ある大学に勤めて試行錯誤していたのですが、組織の事情で1年で去らなければならなくなったんです。
その事情は、ぼくにとっては寝耳に水である上に、ぼくには一切責任のないことなので、正直怒りがなかった訳ではありません。
昔のぼくなら、たとえ相手が社長であってもとことん戦おうとしたでしょう。
でも、大学では、突然現れた運命をなぜかものすごく冷静な目で観察することができたんです。
そして、
「どうやら、自分がやりたいことに続いている道はここにはないみたいだな。
ということは、目標につながる道は他にあるということか。」
という解釈ができたんですね。
もちろん、大学の対応に納得していたわけではないんですよ?
でも、そこにこだわっていると、時間が無駄になるだけでなく、心労もどんどん溜まるだけで、何も進まないまま命を無駄にしてしまうと感じたんです。
時間=命ですからね。
自分を冷静に見られる『魔法の質問』
あなたも、もし突然目の前に理不尽に感じるようなことが起きた時、
一度冷静になり、あなたの現在立っている場所をよく観察してください。
あなたの中に、
・ずっと考えている目標
・やらなければ後悔するのがわかっているのに躊躇していること
・もう決断しているけど、どこから手をつけていいかわからず立ち止まってしまっていること
そのような目標や、やってみたいことがあったとします。
もし、あなたに理不尽と感じるようなことが起きて立ち止まらなければならなくなったとき、一度冷静になって、淡々とこう質問してみて欲しいんです。
「この理不尽なことは、人生を見つめ直すために自分が招いた分岐点ではないかな?」
もしかすると心の奥で、現在の仕事と、あなたの本音や目標、やりたいことの間に距離を感じているのかもしれませんよ。
その運命の分岐点、どちらを選ぶべきなのかはあなた自身が一番理解しているはずです。
だから、起きた事象だけを見るのではなく、できるだけその周りの一見すると関係なさそうなことまで観察してください。
一見すると関係がないように感じる周りの出来事をふくめた運命を感じる出来事の中に、逆境がチャンスに変わる鍵が隠れているものです。
そうやって運命を淡々と見つめていると、他人の理になるばかりで無駄に時間がすぎていくようなことにこだわっているのは馬鹿馬鹿しい、と心から思えてきます。
やがて、無駄に大きい重りを投げ捨てるかのように、怒りや焦りの原因となっている悪縁を断ち切ることができるでしょう。
そして、あなたの目標ややりたいことにつながる道を軽やかに進む力が湧いてくるはずです。
そうなれば、しめたもの!
チャンスの鍵は目の前にあったんだと、すぐに気づくはずです!
まとめ
本来、人間には生きる目的なんてない。
一見すると理不尽に感じる運命は、あなたにとって人生の分岐点では?
怒りや焦りを感じたときこそ、自分を淡々と見つめたい。
魔法の質問
「この理不尽なことは、人生を見つめ直すために自分が招いた分岐点ではないかな?」
同時期に起きている、一見関係なさそうなこともピックアップして観察する。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!